Capoeira - カポエイラとは

16世紀前半にアフリカ大陸の様々な地域から(主にコンゴ、アンゴーラ、モザンビーク、ケープヴェルデ等)さとうきび畑や鉱山などの労働力として、沢山の黒人がブラジルへ連れてこられました。

自由を奪われた奴隷たちはひどい状態で暮らし、ポルトガル人支配者からは人間扱いされませんでした。しかしながら支配者は彼らから、彼らの中に常に潜在した自由への希望と、彼らの文化、宗教、音楽、ダンス、儀式などを奪うことはできませんでした。

アフリカの異なる種族が混ざり合い暮らしていたセンザーラ(奴隷居住地)では、しばしば奴隷同士の会話が不可能なこともありました。様々な種族が生活を共にすることから、センザーラで各々の文化が混ざり合うようになりました。多種多様なダンス、音楽、儀式、宗教、戦い、遊びが時とともに混ざり合いカポエィラが生まれたのです。主にカポエィラの起源となった5つのアフリカの土着格闘技が、バスーラ、カマングーラ、ンゴロー、オムジーニュ、リウエタです。このようにカポエィラは、ブラジルに連れてこられたアフリカ人が起源ですが、もともとアフリカにカポエィラというものがあったのではなく、こうした時代背景のもとにブラジルで生まれたものです。

では、なぜ奴隷たちはカポエィラを生み出したのでしょうか?

奴隷の身であることに耐えられなくなった黒人たちは、次第に支配者への抵抗を示すためにセンザーラからの逃亡を企てます。武器も何も持っていない彼らは、自分の体を武器に戦うことを決めました。彼らは、自由を得るために戦う手段としてカポエィラを選んだのです。奴隷たちは、逃亡の計画とともにセンザーラでカポエィラを練習するようになりました。

しかし奴隷による格闘技などの練習は禁止されていたため、彼らは監視員の目を盗み、林の中へ行き、低い姿勢で草木にまぎれながら練習をしました。この時の林に生えていた草がカポエィラという名前であったことから、カポエィラの名前の起源となっています。

しかし、頻繁に林の中で練習することができるわけではなかったため、彼らはダンスや音楽、宗教儀式などに見せかけながらも、カポエィラの練習をしました。この時に音楽として使われていた楽器がビリンバウとアタバーキ、アゴゴです。ビリンバウはカポエィラのシンボルとなるもので、その役割は様々なリズムを奏でてカポエィラを練習する人に危険が迫っていることや、その場の状況を伝えることです。このことからビリンバウは、“カポエィラにおけるメストレのメストレ”とも呼ばれるほどビリンバウがゲームを司るのです。